新宿区 「写真の残忍性」
例えば我々は報道写真などにおいて、死体等に包括される一種グロテスクなものを後ろめたさを抱きながらまんざらでもない好奇心を持ってそれらを眺めることがある。それは人間の残忍性の現れであると同時に、己の平和感を比較する事によってアイデンティティーの再確認を行っているのかもしれない。
しかし、いずれにせよそうしたニーズがある事は確かなことであるし、報道の存在理由の一部であるとも言える。傷ついた人を見て思う事は、同情の念と当事者が自分でなくて良かったという勝手な安堵感である。そういった事への倫理的是非を問うつもりはないが、そういうときに観者は写真に酔った状態であると言えるのではないか。これは写真の真の姿では担いにせよ、それが持つ残忍性の一部であると十分に自負しなくてはならない。
世には優れた写真評論の本が多く出されているみたいだが、その大半は今の自分にはどうでもいい内容だ。というか興味がないという理由にすぎないのであるが。ただその中でも、倉石信乃「反写真論」は僕の好きな写真評論書である。